名古屋高等裁判所 昭和35年(う)530号 判決 1960年11月07日
被告人 藤田保
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一万五千円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
理由
所論に徴し、本件記録並びに原裁判所が取り調べたすべての証拠を検討しこれに当裁判所のした証拠調の結果を併せ考えてみるのに原判決が被告人を罰金二万円に処し、その刑の執行を猶予した理由は、これを推測するのに、本件被害者伊藤きぬゑが、東進中の被告人が運転する軽自動二輪車の進行してくるのを確めず、突然停車中の自動車のもの蔭から飛び出したことに由来する同女の不注意を重く視たためと思われる。然し、本件現場附近は、人家軒を連らね、人車の往来ひん繁な場所であり、殊に、本件事故発生時においては、被告人の進路前方左(北)側に、東方に向け一台の貨物自動車が駐車しており、道路を狭めていて、同所附近を通過する際の被告人の運転する軽自動二輪車の進退に自ら制約をうける事情にあり、かつ、その貨物自動車の前方は、視野が利かない状況にあり、その視界の及ばない右駐車自動車のもの蔭から通行人が被告人の進路前方道路上に、該道路を横断すべく急に進出してくるかもしれないということは、自動車運転者としては、当然予見すべき事態であるから、被告人としては、かかる事態の発生に備えて警笛を吹鳴し、右自動車のもの蔭にある人に警告を与えると共に、これとの間に、できるだけ間隔をとり、更に最大限の徐行をして、事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたのに、被告人はこれを怠り、警笛を吹鳴しなかつたのは勿論、減速徐行の措置をとらず、かつ、右駐車自動車の側方すれすれに、時速四〇粁の速度で漫然進行を継続したため、当時被告人の運転する軽自動二輪車の進路前方の進路を横断すべく、該駐車自動車のもの蔭から飛び出してきた伊藤きぬゑを漸く四、五米斜前方に接近して発見し、遂に、原判示の如き事故を発生させたものであり、被害者側において不注意の責められるべきものがあつたとしても、被告人の注意義務懈怠の程度は著しく、被告人の過失責任は大なるものがある、というべきである。しかも、被告人が本件事故により、被害者伊藤きぬゑ及び同女がその時背負つていた同松雄(当時一年)に対して与えた傷害の程度は、原判決に認定するとおり、いずれも相当の重傷である。弁護人は、被告人が前示の如く警笛を吹鳴しなかつたことを目して過失となすに足りない、というが、それは、当らない。騒音防止の見地から警笛の吹鳴が制限されているとしても、本件の如く事故の発生が予見される状況のもとでは、自動車運転者としては、警笛を吹鳴して、相手方に対し、自動車の存在を警告して、危険の発生について警戒させる必要のあることは、当然である。してみれば、本件において、被害者の過失を考慮に容れ、かつ事故後の被告人のとつた措置を参酌してみても、被告人の刑責は、重いものがあるというべく、更に、同種事案に対する科刑一般との権衡を考慮すれば、検察官所論の如く原判決の被告人に対する科刑は軽きに過ぎ不当なものというべきである。論旨は理由がある。
よつて、刑訴法三九七条一項に則り原判決を破棄するが、本件は、記録並びに原裁判所が取り調べた証拠により直ちに判決できるものと認められるので、同法四〇〇条但し書に従い被告事件について、更に判決する。
当裁判所の認定した罪となるべき事実及び証拠の標目は原判決に摘示するところと同一であるから、ここに、これを引用する。(但し、証拠の標目中、被告人の当公廷における供述とあるのは、原審公判調書中被告人の供述記載と読み替えるものとする。)
(法令の適用)
被告人の判示所為は、いずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に該当するところ、以上は一個の行為で二個の罪名に該当するので、刑法五四条一項前段、一〇条により犯情重い伊藤松雄に対する業務上過失致傷罪の刑に従い、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一万五千円に処し、その不完納のときは同法一八条により金五百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、なお当審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項但し書に従い被告人をして負担させない。
よつて、主文のとおり判決した。
(裁判官 影山正雄 谷口正孝 中谷直久)